算命学を勉強していて、この学問が好きになればなるほど、
世の中の裏側、つまり物事の事象の裏でどんな気が流れているか?
なんて事に敏感になったりして、
目の前で起こったことや、ニュースで目にすることなど、
全て算命学的に考えるようになって来ちゃったりします。
まあ、そんなことが出来るのはとても知識のある方だと思うけれど、
卑近な例でいえば、身近に居る家族や友人、
それらの人の全ての行動や言動に「あっ!これはあの星の特徴が出ているぞ!」
とか探るようになったりします。
友人との間で「算命学バカ」とお互いに呼んだりしているのですが
色々と考えすぎるようになったりします。
でもこれはやり過ぎると、自分の精神を病む様な気がします。
その人の行動を分析するのに使うのには良いのだけれど、
人の言動は、その人がアウトプットしたもの。
その特徴だけを気にして、あれこれ考えるのは
検便をしているのと一緒。
それよりも、なぜそのような言動をしているのか?
という、もっと生きた情報、今その人に起こっている事を
見て行かないと、せっかく学んだ算命学も良い方向に生かせない。
算命学ではカバーしていない(私が思うに、、、)
分野があって、それは、その人が志すものや、
何かを意図したときに大切になって来る、
感情的な心の成長。
これは本人の選択次第なので、
環境や宿命とはまた別なところの話だと思っている。
辛い事象が起こった時、結局は乗り越えられるにしろ、
どうそれを乗り越えるか?
まあそれが生き方に繋がるのだろうけれど、
その生き方については「感謝」という広大で曖昧な
魔法の言葉的な感じで解決されているのだけれど、
それはそれで間違いではないと思う反面、
実際はもっと一つ一つの事象を丁寧に扱って行かないと
いけないと思っています。
そしてそれは宿命を眺めているだけでは、
起こった現象を眺めているだけでは、
つまり検便(いつもウンコの話ですまん)と一緒で
なんでそうなったか?そうなってしまう様な選択を
していったのか?という事をもっと考えた方が良いと思うのです。
人の宿命や生きざまを見て、「うわ~、こんな気持ち悪い菌が出て来たよ~」とか
批評する前に、もっと見るところがあるでしょう!?
と思ったりしています。
そこをどうこう判断したからって、そこになる迄の過程は
長い?歴史を持っているのですよ、と。
何の話だかよく分からなくなってきましたが、
兎に角、人の(自分の?)人生について色々観察していくという事は、
起こった事象だけではなく、その前に行われた本人の選択の積み重ねが
大事になってくるので、色々考えすぎると人の頭の中に
入り込むことになるので疲れますよ~!と言いたい。
そしてもっと言うなら、人の頭の中を覗こうとするのではなく、
その人の心の中を見て、そちらの方を大切にして欲しい。