最近(ここ5年くらい?)マインドフルネスにハマっています。
ヴィパッサナー瞑想して、自分の感情を観察したり。
仏教では他人のカルマについて話すことはお釈迦様以外してはいけないらしく、
算命学で人のカルマを見るってどうなんだろう?と考えてしまいます。
さて、その自己観察でしてはいけないことの一つに、
「何か湧いてきた思考に、ポジティブになってもネガティブになってもいけない」
というのがありました。
ネガティブは自分の妄想が悪い方向へ向かうので良くないのはわかるけど、
ポジティブもいけないの!?と驚いてみたり。
私はなるべくポジティブ思考で(というよりは、転んだらただでは起きない勿体無い志向?)
残念な事が起こってもなるべく気分を明るく保っていましたが、
それはそれで、自分の期待に反したことに蓋をする、
嫌な現実から(思考によって)逃げる事にもなるようで
傷が余計に深くなるとも限らず、良くないようです。
ではどうするのかというと、良い悪いの色を付ける前に客観視。
俯瞰して自分の感情を絡ませない事が大事。
でも結構、知らないうちに癖になっている思考、つまり
自分の「我=ガ」が割り込んでくるので結構これが難しい。
色々な執着に気付いて捨てていかないと、
なかなか心を綺麗にすることはできないようです。
そして、そのためのヴィパッサナー瞑想。
振り子の様に、振れ幅が大きくなると、重心の位置を変えない為には、
引っ張る力も強くしないといけない。
心も一緒で、ポジティブにもネガティブにも、大きく触れると
感情のコントロールに力が入るから疲れる。
高速道路の車の運転(ハンドルさばき)の様なもので、
常に豆々しく微調節しながら大きく触れないように
自分の感情のコントロールに気を付けないといけないのかもしれません。
自分が自分の感情を管理しているのであって、
感情に引っ張られたり、無理に勢いを付けたりするのではなくて。
抽象的な話になってしまいましたが、
こちらの算命学ブログも、算命学の占いのネガティブさ
(お勉強する時は、実例でどんな状況で運勢が上がったり落ちたりするかを検証するので、分かりやすい例だと大成功した後に突然大失脚、みたいなのも少なくない^^;)
どうにかポジティブに解釈出来ないかといつも考えていたけれど
それ自体、色を付けて見ていたのかもしれないなー、と思いました。
だって人生は四苦八苦でそもそもネガティブ!
クールにネガティブな人生を客観視しても良いけれど、
そもそも、そのネガティブなものの分析をわざわざすることも無いのかな〜と!?笑
もっと他にする事あるだろう?みたいな!笑
話がそれましたが、現在の様に、色々大変な時期は、
ストレスを溜めている人も多くて、なんとかポジティブになりたいと思うかもしれないけれど
ポジティブになる必要もなく、「そんなこともあるんだね〜」と
すごく冷静に客観視できるのがベストかもしれません。
ただいま(多分、一生)勉強中〜。