自分らしい生き方を知る 算命学鑑定士 詠子のブログ

算命学に興味のある方、運勢や宿命という言葉が気になる方、自分の運勢や資質を知って活かしたい、という方向けに私が算命学の勉強から学んだ処世術を発信したいと思っています♡

残心

算命学は生き方の哲学なので、勉強をしていると

どう生きる事が望ましいのか?

ということを意識していきます。

 

まだ肉体を持たない霊の状態から、生まれて肉体を持ち、

死んでまた例の状態に戻っていく過程を

十二大従星という12の段階で分けています。

 

そして、その12の段階の中で3つのピークがあり、

それぞれ、生(せい)・旺(おう)・死(し)と呼んでいて

生まれて活動を始めて盛んになる時期、大人として一番活躍する時、

そして生の終わりを意味する「死」を迎えた後、

霊となって落ち着く(?)、という3つのピークがあります。

 

何事にも、始め、中盤、終わり、と3段階に分けるように

算命学では、生・旺・死で、それぞれを表現します。

 

また、仏教が根付いた東洋思想の特徴でもあるのかと思うけれど、

「輪廻転生」という言葉に耳慣れていたり、

小さい時から、天国やら極楽やら、地獄など、死後の世界について

日本人は海外の人よりも認識があるのかな?という感じで、

 

死んだら終わり。でもそこには何もなくなる、という訳ではなく、

物質的には終わってしまうのだけれど、何かが残る。

特に宗教などを持っていなくても、きっと死んだ後も何かが続いている、

という意識を持っている方も多いはず。

 

この死後の考え方や物事が終わった後も、というか、終わった後こそ

大切にするという思想は、実は禅や茶道、武道にも、

「残心」や「残身」という型や所作として

深く根付いているようです。

 

物事が終わった後でも、まだそこには「気」が存在しているらしい。

 

算命学では、人の一生を見る時、どう生きてきたか?

これからどう生きるか?という事はもちろんのこと、

どの様に死を迎えるか?そして、死んだあと、

誰にどんな影響を残すのか?という事も見る事ができます。

 

奥義で教わる内容などでは、影響力のあった人の運勢は、

亡くなった後でもその人の運勢の影響が残るとして

色々な事を読み解いて行くことができます。

その人が興した会社の運勢や、その人が家長だった家系の運勢など。

 

生きている間だけでなく、死んでからも生き方?死に方?など

影響力が問われる算命学。

 

死に方、という話で思い出してしまいました。

7、8年前の話。以前、マンションに住んでいた頃、

一度もお会いする機会がなかったのだけれど、

50代くらいの独身男性が隣に住んでいました。

頻繁に遠方へ長期で出張するらしく、不在の時が多く、

在宅の時はテレビの音など生活音や

咳き込む声が聞こえたりしていました。

ある時、廊下が騒がしいと思ったら、警察の方が来ていて

お隣の方が孤独死をしていたの事。

管理人さんがおかしいと思って家族に連絡を取るまで

時間がかかってしまったそうで、ご遺体も傷んでいたそうです。

 

マンションの壁一枚隔てた向こう側でそんな状態になっていたなんて

つゆ知らず、非常にショックを受けました。

一度も、お会いしたことのない方でしたが、

何メートルも離れていないところに、自分が寝起きして

普通に生活していたことが、あまりにショックで。

 

ショックのあまり、気が付きました。

 

「人は誰でもみんな死んで腐る(焼かない限り)」ということ。

自分の体も、心臓が止まって、血が循環しなくなれば腐る。

毎日、よく心臓止まらず生きてるなー。

生きてるって凄いな~と!

 

そして、今私の知っている生きている人は皆、

死んで腐って(焼かない限り・・・くどい?)

今から120年後くらいの地球には自分が知っている人は

誰もこの世に 生きていない。

地球の総人口、総入れ替え!ということ。

 

生きている事って、実は限られた時間で限られた環境で

起こる、稀有な状態なのでは!?

 

なんだか、書きたかったことと、結末がかけ離れてしまいましたが、

小さい頃から、あまり人の死にご縁が無かった私には、

知らない人にせよ、誰か近くで人が亡くなるという経験が非常にショックで

現実的に生き方を考えるきっかけとなりました。

 

どうせ誰でも人生はいつか終わるのだから、

この限られた時間を、精一杯使って、

そして終わる時は、スカンクの様に悪臭を残して逃げるのではなく、

終わった後でもステキな香りの余韻を残せるような生き方をしたい。

残心を大切にしたい、、、と思うのは私だけではないはず。