自分らしい生き方を知る 算命学鑑定士 詠子のブログ

算命学に興味のある方、運勢や宿命という言葉が気になる方、自分の運勢や資質を知って活かしたい、という方向けに私が算命学の勉強から学んだ処世術を発信したいと思っています♡

子供がいない、出来ないという事

人が成長して生きていく上で、ノーマルとされているのが、

生まれてから、赤ちゃん、子供、青年、大人と育っていき、

良い年齢で結婚して、家庭を持ち、子供を授かる。

 

夫婦に子供が一人以上いて、その後、 その子供が親になり、

また家庭を持つ。 それが代々、脈々と生命を繋いでゆくのが、自然な流れ。  

なので、結婚できない、子供がいない、できない、というのは、

生き方それぞれなので、良し悪しはないのですが、

人間の生き方としては普通じゃない、と 算命学では考えられています。 

何かしらの運勢的な禍が出た、なんていう風に理解されます。

 

私自身も、夫婦ともに健康で問題がないのに子を授かる事が出来ませんでした。

なので普通に考えるとアブノーマル。

こんなことを言うと、世の中に沢山いるお子さんのいない人に

恨まれそうですが、算命学では、子供が出来ないというのは自然淘汰

 

その人の人格、ルックス、能力などが、

どんなに素晴らしかろうと、平凡であろうと、

そして救いようのないようなウンコだろうと、

生命が繋がれるという事は、その人の遺伝子、

子孫が自然界に必要とされているということ。

 

逆に、子がいない、 できない、というのはその人の子孫は必要ない、

ということらしい。

阿部総理のご夫婦もお子さんがいませんが、

そう言う事らしいです!厳しい~っ!!

 

また、良い例として、屋久島の縄文杉などについて

言える事なのだけれど、樹齢が異常に長い。

だから神木として沢山の人を魅了している訳ですが、

もし、あの縄文杉が存在しなかったら?!

 

普通の屋久杉の寿命が1000年くらいとして、

縄文杉の寿命は4000年とか、7000年とか

言われているようです(Wikiによる)。

そんな長い寿命の縄文杉がそこに存在してきたという事は、

もしそこにそのご長寿な縄文杉が存在し無かったら、

その場所には、1000年が寿命の屋久杉が、4本とか7本とか、

生きることが出来たはず。

なのでご長寿な縄文杉は、屋久杉4~7本分の寿命を犠牲にしている、、、

と算命学上、考えられるそうです。

 

自然物(地球上に生息する)である人間にも、同じことが当てはまる訳で、

誰かすごく活躍した場合、例えばイチローや唐沢・山口夫妻など?

子供が出来ない事もあり、自分の運勢以上の活躍をしたことで、

子供の運勢を犠牲にした、、、と言える様な事が起こるそうです。

 

なんだかんだで、運勢学は後付けでしか証明する事が難しいので、

子供が出来にくい、とかいう運勢の人でも、

お子さんが沢山出来ていたり(ただ育てるのに苦労したり)

子供が宿命の中にいて、子宝に恵まれるはずだったのにできなかった、

など、一概にどうこう判断できるものではないと思います。

(紐解いていくと、ちゃんとした理由が見つかったりしますが)

 

じゃあ子供がいないと必要とされていないわけだから、

生きている意味はないのか?!なんて思ってしまいがち。

 

私が子供がいない事で、親族や親しい友人は

「自分の好きな事が沢山できるから良いじゃない。」とか

「前世で沢山子育てしたから今回はしなくて良いんじゃないの?」とか

「親がいない子もいるのだから面倒を見てあげたらどう?」など

励まそうと色々言ってくれます。

実際、私は子供が凄く欲しかったので、今でも時々

涙が溢れそうになるのだけれど、私が一番腑に落ちたのは、

算命学的な考え方でもある、自分の子という感覚ではなくて、

もっと大きな枠で見た社会の人に貢献しなさい、という事。

 

ダライ・ラママザー・テレサなどの偉人の方々でも

お子さんを生涯持たない方が沢山います。

じゃあその人たちの遺伝子は必要ないのか?と言ったら

そういう訳ではなさそう。

知り合いで若い女性のお坊さんをしている人や、

私が幼稚園でお世話になった、シスターたち。

出家をして神様に仕えるという事は社会に仕えるという事。

 

その人の遺伝子が要らない、と言われていても

別の生き方がある。

 

出家した方たちはそんな社会的な役割を担っているとして、

私の様に、特に出家などしていない場合でも、

子供に限らず、近隣に住む人、友人など、

現実的な問題だけでなく、精神的な問題など、

世の中のちょっとした協力を必要としている人に

貢献できることはあります。

 

私にとって出来る事は、英語を教えることや、

算命学など自分で学んだことを伝えていく事。

先日ご相談頂いたお子さんのいらっしゃらない方にとっては、

ピアノを子供たちに教えるという事。

 

社会的貢献度を考えると、子供や孫に命を繋ぐという事と比べれば

現実的に目に見えて残るものではないけれど、

生き方によって、仕事などを通じて、少なからず

社会の役に立てる事がある。

そしてむしろ、元々その様に生きた方が生きやすいので

子供が出来なかったのでは!?とすら思う。

 

誰が何と言おうとも、与えられた環境を

どう考え、どう生きていくかはその人次第。

役割や目的を考えなくても、生きていける訳だし、

自分が納得する考え方で生きて行くことが出来れば良いと思う。