自分らしい生き方を知る 算命学鑑定士 詠子のブログ

算命学に興味のある方、運勢や宿命という言葉が気になる方、自分の運勢や資質を知って活かしたい、という方向けに私が算命学の勉強から学んだ処世術を発信したいと思っています♡

一番幸せに感じるのはどんな時?

昨日友人に誘われてご飯を食べながら、近況報告やら今後の方向性?

などについて話しました。

 

そこで「何をしている時が一番幸せ?」と聞かれて

咄嗟に答えられず、「イチバン幸せ」って何だっけ?と思ってしまった。

一応、ここ数年は算命学バカになっているので、「算命学を勉強している時」と

言ったのだけれど、違和感が残ったので暫く考えていました。

 

算命学では財運や名誉運、健康運などが分かるのだけれど、その中に福運

というのもあります。

いつ幸福に感じるのか?どのくらい幸福を感じられるか?というのを

時期を見て読み取る事ができる。

この方は若い時にとても幸せだったんだな~、とか

若い時は幸福度は低かったけれど、晩年になって凄く上がっているな~、とか

この年代の時に、ガクッと落ちている?何が起こるんだろう?とか。

 

算命学で「幸福」とは、成功とか大儲けするという事ではありません。

「幸せ」は心で感じるものであって何か現実的な目に見えるものでは

当然計れないし、心の姿なので捉えにくい!

財運が絶好調でも、福運が低ければ、どんなに財を得ても幸せだと感じられない。

 

じゃあ、算命学で「幸福」ってナニ?というと、、、

「幸福」とは人との間から得られるものだと、言っています。

一番卑近なところで家族。家族との相性が良くて家族といると幸せな場合、

幸福度が高いと言える。そして友人や、同僚、先輩や後輩など、と

広がっていく訳だけれど、人との間でしか、幸福は得られない様です。

なので、家族といる時が幸せ、と思っている人は、かなり福運の高い人。

 

この福運、実は15歳くらいまでの幼年期に習得すべきもの、とされているのだけれど、

それは母親や友人からしか得られないものだったりします。

もしこの期間に、母親の愛情を十分に得られずに、「幸せ」と

感じる事が出来ていなかったり、良い友人が全く出来ないと、

生涯に渡りこの「福運」が得られなくなる宿命の人もいるくらい。

でも宿命に限らず、「福運」はこの時期に体得していないと、

思いやりのない人に育つ可能性が高くなります。

 

この時期に母親や母親代わりの人がどれだけ子供に愛情を

示すことが出来るかで、その子の人生は大きく変わって来るようです。

一生、福運の得られない人になってしまう可能性も!?

世の中で悲惨な事件を起こす人などは、本人の性格もあるかもしれないけれど、

まず、この時期に福運を得られていない人が多いのが事実。

 

また、若い時は母親などから受けた愛情で、福運が決まって来る

かもしれないけれど、大人になってからは、自分の意識も大切になってきます。

感謝の足りない人だったら、何を得ても幸せと感じられないようになるし、

感謝の多い人だったら、どんなウンコな出来事に見舞われても

「幸せ♡」と変換できるようになる。

 

私も30代中ごろまでは、いつも簡単にキレていましたが(気が短いので)

いつでも上機嫌でいられるように、何かにつけて、嫌な事があっても、

車をぶつけたり、お巡りさんに切符を切られたり、転んだり体調を崩したり、

何か大損しても、「ありがとう、でも?だから?こんなに幸せ」と、

何でも良い方向に考える癖を付けるようにしたので、思考の回路がその様に

出来上がっているみたいで、よっぽどの事がないかぎり「幸せじゃない」時はない。

一瞬イラっとしてもなるべく早く気分を変えるようにしています。

 

勿論、悲しい出来事や切ない出来事を目の当たりしたら、深く心が痛むけれども

その事に呑まれないように、なるべく今与えられている幸福を考えるように過ごしています。

信号待ちしていても(若い頃は、「なんで?」といつもイライラしていましたが)

幸せで、感謝の気持ちを忘れない様に心がけているので、

話を最初に戻すと、「どんな時一番幸せ?」と聞かれて、

「いや、いつでも」って思ってしまった。

 

でも確かに、心がワクワクしてテンションが凄く上がって楽しい時があるな~、

と気が付いて。

私の場合、それは、家族や友人、師匠などとご飯を食べたり、

楽しい、面白い話をしながらゲラゲラ笑っている時。

 

誰でも笑っている時は、幸せに感じるのだと思うのだけれど、

一人で笑っても、、、そりゃあ一人で笑っていないよりは楽しいけれど、

誰かと一緒に笑う時は、数倍楽しい。

 

幸福度は人との間でしか得られない、と算命学は言っているのだけれど、

それをとても実感している今日この頃。

 

確かに算命学でも福運のない人は、出家などをすると良いと言っています。

仲間がいなくても、たとえ無人島に一人でも自分を見つめて幸せを見つける。

人との間で幸せを取れないのだったら、一人で幸せを見つければ良い。

 

そんな極端な運勢の人の話は別にしても、もし「どんな時が一番幸せ」と聞かれて

思いついた答えが、人に囲まれて自分が笑顔でいる姿ではなく、

何か自分の好きなもの(趣味や食べる事)に没頭している姿だとしたら

もしかしたら、まだ本当の幸せに気が付いていないのかもしれません!?