自分の事って誰でもなかなか分からないもので、
幸せって思っていても、周りからは「あの人、大変そうね」とか
不幸呼ばわりされていたり、その逆もあったり、
自分は心優しい良い人だと思っているのに、
周りからは計算高くて薄情だと思われていたり。
自分を知るために、算命学で性格判断などに活用すると
良いと思うのですが、それでも人間って、
誰しもだと思うのだけれど、自分の事は良い風に解釈したい。
とどのつまりは、どんな占いで見ても、サイキックに見てもらっても、
自分について、根っこのところは素晴らしい人間なんだと
皆が皆、そう思いたがっている。
だから、良い鑑定結果なら納得がいくけれど、
もし自分の過去の行いや自分の性質についてネガティブな事を
言われたりすると、納得がいかないどころか、
逆恨み状態になって鑑定した人を悪く言いたくなってしまう。
皆自分のことを知りたいのだけれど、どんなに良い人間か?
って事を知りたいのが普通の人。
向上心のある人は、悪い事を言われても善処するところが
見つかって良かった、と思ったりするのかもしれないけれど、
それでもやはり、良い人間だと認められたくて、
普通は、皆、自分の良いところだけを聞きたい。
自分について良く分からない、とか、自分について知りたい
という時、半分の人は自分に自信があり過ぎるかなさすぎる
状態になっているのでは?!と思います。
普通の心理状態だったら、自分についての評価を
そんなに気にしていないのだけれど、自意識過剰になっていたり
自信喪失していたりすると(言葉を変えただけ(^^;))
自分についてすごく気になったりします。
でも自分が気になるという事は、自分を良く評価して欲しい時。
算命学って鑑定となると、とっても優しい事もいえるけれど
けっこうドギツイ事も多くて、ネガティブな見方をするのに
事欠きません。
だから、自分をほめて欲しい人は、算命学の鑑定はあまり
向かない、と思う。なぜならとても現実主義的なところがあるので、
よっぽどカウンセリング力を付けていない鑑定士にみてもらわない
限り、予想もしなかった欠点を並び連ねられるかもしれません!?
でも、往々にして現実は自分が思う様な世界ではない。
人間て誰でも我儘で、自己中心的で、
自分が一番!って考えている。
自分がどんな人間かを知る前に、自分は人間であるがゆえに
とても自分に甘いのだと、自分が一番可愛くて
自分が世界で一番素晴らしい、、、と信じてやまない存在であることを
知っておくと、もしかしたら、色々な納得のいかない事象が
受け入れられるようになるかもしれません。
自分を知る前に、本当に知りたいのかどうか?
自分について知る前に、もし自分の希望と違った事を指摘された場合、
それを受け入れる覚悟があるのかどうか?
もし、受け入れる覚悟があって、実際に受け入れられたとして、
自分は大した人間じゃない、って事が分かったりすると、
自分について冷静に考えられるようになります。
自分について冷静に考えられるようになると、
自分の欠点が見えてきて、色々な身の回りで起きている
不快な事や不具合など、自分の欠点が原因で
そう見えていることが分かって来たりするかもしれません。
そうすると、自ずと問題なんて消えちゃうこともある訳で。
自分を知る事で、自分の事だけじゃなくて
自分がどのように世界を見ているのか?まで分かって来ると、
性格判断なんてどうでもよくなるかも!?