自分らしい生き方を知る 算命学鑑定士 詠子のブログ

算命学に興味のある方、運勢や宿命という言葉が気になる方、自分の運勢や資質を知って活かしたい、という方向けに私が算命学の勉強から学んだ処世術を発信したいと思っています♡

算命学に凝り過ぎるのは良くない

算命学を勉強していて、この学問が好きになればなるほど、

世の中の裏側、つまり物事の事象の裏でどんな気が流れているか?

なんて事に敏感になったりして、

目の前で起こったことや、ニュースで目にすることなど、

全て算命学的に考えるようになって来ちゃったりします。

 

まあ、そんなことが出来るのはとても知識のある方だと思うけれど、

卑近な例でいえば、身近に居る家族や友人、

それらの人の全ての行動や言動に「あっ!これはあの星の特徴が出ているぞ!」

とか探るようになったりします。

友人との間で「算命学バカ」とお互いに呼んだりしているのですが

色々と考えすぎるようになったりします。

 

でもこれはやり過ぎると、自分の精神を病む様な気がします。

その人の行動を分析するのに使うのには良いのだけれど、

人の言動は、その人がアウトプットしたもの。

その特徴だけを気にして、あれこれ考えるのは

検便をしているのと一緒。

それよりも、なぜそのような言動をしているのか?

という、もっと生きた情報、今その人に起こっている事を

見て行かないと、せっかく学んだ算命学も良い方向に生かせない。

 

算命学ではカバーしていない(私が思うに、、、)

分野があって、それは、その人が志すものや、

何かを意図したときに大切になって来る、

感情的な心の成長。

これは本人の選択次第なので、

環境や宿命とはまた別なところの話だと思っている。

 

辛い事象が起こった時、結局は乗り越えられるにしろ、

どうそれを乗り越えるか?

まあそれが生き方に繋がるのだろうけれど、

その生き方については「感謝」という広大で曖昧な

魔法の言葉的な感じで解決されているのだけれど、

それはそれで間違いではないと思う反面、

実際はもっと一つ一つの事象を丁寧に扱って行かないと

いけないと思っています。

 

そしてそれは宿命を眺めているだけでは、

起こった現象を眺めているだけでは、

つまり検便(いつもウンコの話ですまん)と一緒で

なんでそうなったか?そうなってしまう様な選択を

していったのか?という事をもっと考えた方が良いと思うのです。

 

人の宿命や生きざまを見て、「うわ~、こんな気持ち悪い菌が出て来たよ~」とか

批評する前に、もっと見るところがあるでしょう!?

と思ったりしています。

そこをどうこう判断したからって、そこになる迄の過程は

長い?歴史を持っているのですよ、と。

 

何の話だかよく分からなくなってきましたが、

兎に角、人の(自分の?)人生について色々観察していくという事は、

起こった事象だけではなく、その前に行われた本人の選択の積み重ねが

大事になってくるので、色々考えすぎると人の頭の中に

入り込むことになるので疲れますよ~!と言いたい。

そしてもっと言うなら、人の頭の中を覗こうとするのではなく、

その人の心の中を見て、そちらの方を大切にして欲しい。