自分らしい生き方を知る 算命学鑑定士 詠子のブログ

算命学に興味のある方、運勢や宿命という言葉が気になる方、自分の運勢や資質を知って活かしたい、という方向けに私が算命学の勉強から学んだ処世術を発信したいと思っています♡

神様へのお願い事

神社やお寺へ行って、またはお墓参りなんかに行って

お願い事をするのは、間違っているという話、聞いた事があると思います。

お願いではなく、感謝を述べるのが良いお参りだと。

 

それはそれで良いのだけれど、

ピンチに陥った時や辛い時や困った時など、

野望がある時など、誰にも起こる訳で、そんな時

「神様~っ!」とか「仏様~っ!」など何かにすがったり、

お願いしたりしたくなることもあると思います。

 

渡辺和子さんの講和が沢山、YouTubeで見れて、

見たことがある方も多いと思うけれど、

彼女のお話に、アメリカの修道院で食事の準備にお皿を並べていると

「あなたは何を考えながらお皿を並べているの?」と

お偉いシスターに聞かれて、「特に何も、、、」と言ったら

「それは時間の無駄ですね。皆の幸せを願いながら並べたらどうですか?」

と言われたという話ありました。

 

困った時でなくても、世界平和や家族の健康や幸せなどお祈りする人は

少なからずいると思います。

そして困っている時に、何とか助けてください、とお祈りする人も

いると思います。

 

そのお祈りの内容って結構大切で、

例えば、嵐が来て「神様、嵐を止めてください」と

祈るのは、止まったら嬉しいけれど、それはちょっと強引。

「どんな嵐が来ても、耐えられる強さを下さい」と

祈る方が、無理がないと思います。

 

何か自分の気に入る様に物事や現象を希望するのは

エゴや自我の塊で、違う方向へ進んでしまう可能性があるけれど、

どんな状況でも負けない強い心、

克服するための知恵や勇気を与えてもらうために祈るのが

良いお祈りだと私は考えています。

 

鑑定も、そんなお祈りの様に、ご本人の考え方で

捉え方、活かし方が全く変わってきます。

 

算命学などで、運勢を見て、自分の運勢を良くしたいからと

アドバイスを求めるて来る人は沢山います。

でも、何か自分の思い通りにしたくて鑑定を希望する人は

ちょっと的が外れているように思えます。

 

もし自分が何か問題を抱えていて苦しいのなら、

自分でどうしたいのか?何がストレスになっているのか?

どうしてストレスに感じるのか?という事を考えて

そこから、その人に向いている対処法、運勢的な流れなど、

何をどのように取り組めばスムーズに解決するのか?

というのを考えて行くのが鑑定の本来の姿。

 

でも人に拠って「夫が~」、「息子が~」、「ご近所さんが~」

などなど、自分以外の事の問題でどうにかしたい、と思って

アドバイスを求めて来る人が結構いるのですが、

その人の性格やその人との相性を見ながらアドバイスするものの、

そういった場合、自分のエゴが異常に強い人が多かったりするので

自分が聞きたいと思っている内容を言って貰うのを待っているだけで、

「言っている内容、理解できているんだろうか?」と

思ってしまったりも。

 

そんな場合、ちょっと厳しいようですが、厳しい事を

言わせてもらったりします。友人だったりしたら尚更。

頭の良い方、必死で現状を変えようと決意している方は

直ぐに情報を消化してくれて、考え方を改めたり、

即、行動に移して鑑定を活かしてくれるのだけれど、

だらだらと何でも周りのせいにしがちな人などは

少し時間が経つと、手を変え品を変えって感じで

次々に問題をかき集めて来る人もいます。

「最初の鑑定の時に言ったのにな~」と思う事もしばしば。

 

算命学で願いが叶いやすい時というのがあって、

2つのパターンがあるのだけれど、

願い事が叶う、でも同等の苦しみを味わう、というのと

願い事が叶いやすい、追い風が吹きやすい、というもの。

2つ目は、何も禍根を残さずに願いを叶えられる感じ。

でも、そんな時期って、年がら年中周ってきている訳ではなく、

どちらかというと、1つ目のパターンの方が顕著な結果を伴って

周って来ることが多いので、気を付けなければいけないのです。

 

どうせ神様や仏様にお願いするのなら、

見えない力や偶発的な力に頼るのではなく、

どんな状況でも道を踏み外さないように自分の心を強くしたり、

相手を恨んだり、嫌ったりする事なく、幸せを願ったり、と

禍根の残らない、でも実力がついちゃうお祈りをした方が

最終的に自分が一番得をする良いお願いなのでは!?