自分らしい生き方を知る 算命学鑑定士 詠子のブログ

算命学に興味のある方、運勢や宿命という言葉が気になる方、自分の運勢や資質を知って活かしたい、という方向けに私が算命学の勉強から学んだ処世術を発信したいと思っています♡

ゆっくり生きる ~ その2

前回の続き。

生まれた時に目次だけ書かれた真っ白な本。

どうやって埋めて行く?って話ですが、

 

殆どの人は、その目次すら知らないし、人によって、

その本は凄く分厚かったり、とても薄かったりするのかもしれないけれど、

その厚さだって分からない。

 

半分で自分で引きちぎってしまう人もいるかもしれないし、

カバーを付けて大切にする人もいれば、

その辺に放り投げて、水を含んでボヨボヨでボロボロに

させてしまうかもしれない。

 

どんな状態であれ、とにかく時間が過ぎて行く中で 待ったなしで

ページは進んでいくのだから何か埋めて行かないといけない。  

そこには退屈な時間も、悲しい時も辛い時も、

嬉しい時も幸せな時もあるのだけれど、

勝手に先へ進められるものでもなければ、

同じ場所に留まれるものでもない。  

 

じゃあ、何で埋めて行けば良いの?と言ったら、

当然、良いもの、たとえネガティブに見えても

ポジティブなものを埋めていきたいし、

最後はハッピーエンディングにしたいのです。   

 

子供の時に読んだ、「モンテクリスト伯」(「巌窟王」)は

ほぼ最後の一歩手前まで、辛い悲しい内容なので、

それはそれで、読んでいて辛かったり、

最後のハッピーエンディング?なのかな、多分?が

余計強調されます。

あそこまでドラマチックな復讐劇じゃなくても、

あんなに逆境の時間が長くなくても、

多少なりともアップダウンがあってハッピーエンドで

迎えたいのが自分の人生。

 

どうすればハッピーエンディングに!?と言ったら、

自分はその人生で何をどれだけ学べるか?という事で

決まって来るそうでそうです。  

勉強を通じて、仕事を通じて、など何を通じてなのか

人さまざまなのだと思うけれど、人生とは学ぶ事。

 

人生を急いで、先を見越してどんどん進めなくても、

自分に渡された空白の本の1ページずつを

自分が興味を持った事や好きな事を見つけて費やしてみる。

自分で情熱を傾けられる事の知識を得て、

それだけではつまらないから、仲間と分かち合う。

美味しいものを飲んだり食べたり、綺麗なものを鑑賞したり

運動してみたり、ロマンスについて学んだり。 

わざわざ遠くを見なくても身近に埋められることは沢山ある。

 

良いと思える時間も、悪く思える時間もそれはそれで、

何かを学んでいる時間だと思って、ゆっくり瞬間瞬間を味わって、

空白を自分らしく埋めて行けば良いのでは?

 

祖父はそんな事を言いたかったんじゃないのかな?

先が見えなくても、焦ったり不安になったり、

絶望したりせずに、ゆっくり自分のページをめくって

自分で納得のいく本の閉じ方をしたら良いと伝えたかったのでは!?

母も、中年期を迎えてそれを強く感じて何度も口にしていたのかな?

なーんて事を中年期真っただ中、ミッドエイジ・クライシスを迎えて思う今日この頃。