自分らしい生き方を知る 算命学鑑定士 詠子のブログ

算命学に興味のある方、運勢や宿命という言葉が気になる方、自分の運勢や資質を知って活かしたい、という方向けに私が算命学の勉強から学んだ処世術を発信したいと思っています♡

中庸って大切。

 

論語で言われている「中庸」。

何事も行き過ぎは良くない、偏らない方が良いという話で、

お釈迦様も、農民の娘が「琵琶の弦、強くしめれば糸が切れ、

ゆるければ音が悪くなる。」と歌っているのを聞いて

苦行ばかりしていても意味がないと、悟りのきっかけになったとか。

 

算命学でも、生き方について「中庸」が大切と言っています。

人体図に出て来る星を見ると、その人の星の生かし方、

何をしたら、その人らしく生きられるのか?

持っている星を輝かせることが出来るのか?

ということを読み解いて、バランス良く星を使う事が大切だと。 

 

自分らしく、自分の持っている星を使って輝かせば

その人自身も輝いてくる。 運勢が良くなって、活躍できる。

イキイキと楽しそうに活躍している人を、

星を上手に輝かせているとか、上手に消化している、なんて言い方をします。

 

星を輝かせるために、星を消化するという事はどういうことかというと、

働く星を持っていたら、人の為に身を粉にして働く。

知恵の星を持っていたら、一生懸命知識を習得する。

優しさの星を持っていたら、出来るだけ周囲の人に親切にする。

芸術の星を持っていたら、何か表現する活動をして人に伝えていく。

などなど、星の意味合いを生かせば、星が生きてきて、人生が流れ出す。

 

(星を輝かせることの大切さは「自分を輝かせるには」でも。)

 

自分らしく生きるためには、自分の星をキラキラ輝かせて

消化していくと運勢が良くなる!と言っているのだけれど、

同時に、星の使い過ぎも良くない、とも言っています。

星にはそれぞれ、使いやすいものと、使いにくいものがあって、

もし持っている星が使いやすいものであって、

それが評価されたり、とても活躍できる理由になっていたら、

使っていて気持ちが良いので、もしかすると使い過ぎ?!

という状態になってしまう事もあるようです。

 

使い過ぎるとどうなるのか? 自分の星を全然使わないで、

それを生かさずに 鬱々とした人生を送って行くよりは、

よっぽど良いとは思うけど、

(だって、全然使わなくても、運勢が落ちるので。)

あまり、使い過ぎても、その星が使えなくなってしまう状態になるようです。

 

病気で倒れたり、最悪、若くしてお亡くなりになったりする事も。

あの人、凄く良い人で活躍していたのに、若くして急に亡くなられた、、、

なんて場合、そんな星の消化のし過ぎ、という事も考えられるそうです。

星が人体図に五個あることから、しばしば五臓に例えられるようですが、

五臓の中で一つでも痛んでしまう、つまり機能しなくなってしまうと

生きていく事は出来なくなってしまう。

 

つまり持っている星も、全てバランスよく使っていけば良いのだけれど、

1つでも使い過ぎ、とか使わなすぎ、とかいう事で

その臓器が動かなくなると、、、

例えば、心臓が強い(その星が使いやすい)からと、

不用心に負担のかかる事をして酷使したり、

肝臓が悪い(使いにくいから)からといって、大切に養生しなければ、

その臓器が壊れ、機能しなくなってしまう。

1つでも完全に壊れれば死んでしまうし、傷めてしまっても、

バランスを失って、全ての星が上手に使えなくなってしまう。 

 

そこで中庸の話に戻るのだけれど、何事も極端は良くない。

琵琶の弦も、張り過ぎると良い音が出ないばかりか、

圧がかかった時に切れてしまうし、

弦一本でも、緩み過ぎていたら変な音しか出ない。

どちらにせよ、いい音は奏でられないので、

綺麗な音を奏でる琵琶にはなれない。

何気なく生きていると、得意な事しかしなくなってしまうけれど、

いつでも良い音を出せるように、バランスを考える事って大切。

 

自分の星がどんな音を奏でるのか(星の使い方)が分かったら、

今度は、自分の楽器でステキな音を奏でるために、

弦を張り過ぎていないか(星を使い過ぎていないか)?

緩み過ぎていないか(持っている星を全て、少しでも生かしているのか)?

をチェックして良い音を出すように心がけたら良いのかもしれません。

 

探さなくても自分の生き方が分かる人は良いけれど、

もし、自分の特性の生かし方や、運勢の伸ばし方が

分からなかったり、迷っている場合は、自分の人体図の星を見て

どんな音を出す楽器なのか?綺麗な音を出すにはどうしたら良いか?

なんて事をしみじみ考えてみても良いかもしれません。